災害から2年。当時を振り返ってみたっていうお話。パート2
【前回のあらすじ】
2013年10月15日、翌日が休校との連絡を受けた僕は夜遅くまでブログを作っていた。
翌日16日の朝、東京に住むおばさんからの電話で目を覚ました僕はテレビを通じて驚きの光景を目のあたりにする。
そこには見たことがない元町地区の光景が広がっていた。
2013年10月16日水曜日
午前
午前8時。おばさんからの電話で起床する。
テレビをつけた。
画面に映し出されたのは大量の土砂と流木が町中に流れこんでいる風景だった。
「なんだよ……これ……」
まさしく絶句という感じだった。
前日から台風のことで連絡を取り合っていた同級生からも連絡がきた。
話は当然テレビで観たこの災害の話である。
その同級生には被害はなかったものの、他の同級生のは家を土砂にやられた人もいるらしい。
しばらく話をしていると、予想通り担任から電話がかかってきた。
「もしもし?そっちは大丈夫?」
という会話から始まり、これからの学校のことについての連絡を受けた。
予想通り休校。記憶があいまいだけど確か期限は決まっていなかったはず。
学校も被害を受けたようだった。
中間テストはわずか1日。しかも2教科だけで終了してしまった。
以下の記事は当時の僕がその日のうちにまとめた記事だ。
「今できることはなんだろう。地区は違えど大島に住んでいるんだ。何かできることがあるはず。」
そう考え、災害が起きる数日前に開設したばかりのブログで情報発信を始めた。
この記事を公開して1時間もしないうちにブログの問い合わせフォームからはたくさんのメールが届いた。
そのメールの多くは
「大島のために何かできることはありませんか?」
といったものだった。
当時の僕にはまだ何も情報がなかった。
返せる文章は
「なにか町役場などから情報が入りましたら連絡します。」
くらい。正直、悔しかったです。
同じ島に住んでいるのに地区が違うだけでここまで状況が違う。
当時の僕が持っている情報よりも報道陣が持っている情報のほうが全然多かったです。
そんなときに僕のTwitterに1つのリプライがきました
「はじめまして。私はNHKの記者の古田(仮名)というものです。ブログ拝見しました。連絡をとらせて頂けませんか?」
続く